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乳がんの告知された日=組織診の結果を知らされた日と同じくらい
この病理結果を伝えられる日を恐れていました。
手術を恐れることがなかったのは、それ以上にこの病理結果を聞くのが怖く
すでにこの日に気持がいっていたからでした。

病理結果で治療方針が決まり、次のステップに進めるのですが
自分のがんがどれくらいなのか知るのは勇気がいります。
夫にも一緒に主治医からの話を聞いてほしかったのですが
昨今の不況もありあまり夫が仕事を休むこともできないため
自分一人で病院へ向かいました。

名前を呼ばれ診察室に入ったと同時に
主治医から「そんなに悪くないよ」という言葉がでました。
椅子に座り話を聞く態勢になって主治医の話を待つと
私のがんの詳しい内容を用紙に記入しながら説明してくれました。

手術時の術中迅速診断が陽性で2回追加切除していたので
かなりの大きさなのか、広がりなのかと危惧していましたが
術中迅速診断で陽性になったのは
がん細胞でなく異型細胞だったそうです。

「そんなに悪くない」という言葉と説明を聞いて
主治医にありがとうを連呼して抱きしめて振り回したいくらいの喜びだったのですが
治療方針で放射線治療の次は長期のホルモン療法をすることになり
わかっていたことですが子供が持てないことを改めて実感して
やはりさびしかったです。

そして低リスクに入ることはできませんでした。


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12月29日の朝退院したその足でスーパーに向かい
おせち料理は作らないにしても
何にもお正月らしい食べ物がないのも寂しいだろうと
里芋や筍、干しシイタケやら、ごぼう等々お煮しめの材料や
かまぼこなどのちょっとしたものや
冷蔵庫が空っぽだろうからと食材などを購入して帰宅しました。

どれだけ家の中がちらかっているかと心配でしたが
朝、洗濯と掃除を夫がしてから病院へ迎えに来てくれたので
思いのほか片付いていました。

手術するまでは買い物をする意欲もわかなかったのですが
それを取り戻すかのように
翌日はショッピングへ行き細々したものを買いそろえました。
しかし、さすがに疲れてしまったのと
年末で人が多く、術側の左胸が人にあたったりしないようにかばったり
左腕がだるくなってしまったりで、早々に帰宅し休みました。

大晦日は料理をしたり、夜には紅白を観てお蕎麦を食べて
静かに年を越すことができました。
振りかえってみると2008年は前半は楽しいことばかりで
後半は怒涛の年でした。

例年だと元旦は旅行してるか
夫の実家、自分の実家をまわっていたのですが
2009年は自宅で自分ちのお正月をしました。

手術後の左胸の状態は
あざのような色と水が溜まってきたのか腫れがありました。
朝、ベッドから起き上がった直後が一番痛みがあり
ほんの一瞬ですが、うわーーーっと胸を押さえて痛みを堪え
いっぺんに目が覚めました。
しかし、日に日にその痛みもなくなり
今日できなかったことが次の日にはできたりと
人間の体ってすごいんだな~と感謝の気持ちでいっぱいでした。

術後初めての通院は退院後約一週間経ってからで
溜まった水でパンパンになったので(自分史上初の大きさ)
水抜きをしてもらいました。
太い注射で抜き取ってもらいましたが、そんなに!?と驚くくらいの量でした。
この日の病院代 水抜き210円 安すぎる。 

次の通院は手術の病理結果の出る日です。


安静でベッドに横になっていても
カテーテルのせいで変な寝方をしていたからか
腰痛が出てしまって眠れず
日付が変わった頃には我慢ができなくなってきました。
看護師さんが部屋にきたときにお願いして
体を起してもらいカテーテルもはずしてもらいました。
シャッキリ立ちあがり歯磨きをして
パジャマの着替えを手伝ってもらいさっぱりしてまた眠りました。

翌朝、洗面を終えてベッドの脇の椅子に座っていると
サディスト看護師さんがやってきて
「昨日手術した人には見えないって聞いたけど ほんとだ」と
私の姿を見て笑い出しました・・・。
ええ、犬猫なみの回復力ですが・・・。

サディスト看護師さん
胸帯のつけ方を教えてくれ
家に帰ってからひとりで手術をした胸を見てショックを
受けるといけないからここで見てしまいましょうと付き合ってくれ
サディストだけど何かと話しかけてくれてありがたかったです。
手術した自分の胸を見て浮かんだのは「おかちめんこ」
やはりショックでした。

主治医の回診があり 
夜にまた質問など話をしました。

入院中テレビを見ていると山田邦子さんが出ていて
「一日も乳がんのことを考えない日がない」って話してらしたのですが
ほんとにそうだなと思います。
一瞬忘れることはあるけれど、一日も忘れる日はないし、考えない日はないものね。

手術から3日目の12月29日の朝 退院しました。
5泊6日の入院でした。

乳がんと知らされてから手術日までが
なんともいえないもどかしい毎日でとても長く感じました。
病院によっては3カ月待ちということもあるらしいので
1カ月待ちというのはまだいいほうなのかもしれません。

前夜寝付けないなら睡眠薬を出しましょうかと聞かれましたが
睡眠薬を飲まずとも眠れ
ひとまず手術日まできたと緊張が緩んだのか
朝寝坊してしまいました。

身支度をして午前中最初の手術だったので
看護師さんに付き添われ夫と手術室に歩いて向かいました。
他の病院ではどうなのかわかりませんが
病室から歩いて手術室まで行くのは普通なのかな。
ドキドキして歩き方がギクシャク不審だったかもしれません。
手術室の前で夫とわかれました。

手術に対しては全く恐れはありませんでした。
手術台に横になっていると
主治医がお腹のあたりをポンポンとたたき
「さちさん、よろしくね」と声をかけてくれたので
緊張がほぐれ、そのまま麻酔でコロッと落ちていってしまいました。

私の名前を呼ぶ声で目を開けると
2人の顔がのぞきこんでいました。
「あ、終わったんだ」 現実が戻ってきました。

ぼーっとした頭で左胸のあたりに意識を向けましたが
どういう状態なのかわかりませんでした。

横で人の気配がしたので顔をそちらに向け
誰なのか見ると麻酔医でした。
「違うこの人じゃない」 
その向こうにも人がいます「この人でもない」
無意識に周りに目を向けて主治医を探していたようで
寝かされている足元のほうから名前を呼ぶ声がして
そこに主治医が立っていました。

「どうでしたか?」
「リンパ節に転移ない」

ほっとして主治医に言葉を伝えたかったのですが
麻酔からさめたばかりでうまく出ず、しかし感謝の気持を伝えたくて
手が動くかわかりませんでしたが
右手を持ち上げて主治医のほうへ伸ばし握手を求めました。
主治医の手は長時間ゴムの手袋をしていたからか
とても熱くなっていてふにゃっとして柔らかかったです。
先生ありがとう。

リンパ節に転移はありませんでしたが
術中迅速診断で2回追加切除の必要があったそうで
予定よりも切除の範囲も大きくなり
時間も長くかかったようでした。

病室に戻りしばらくすると
だんだん痛みがでてきました。
激痛ではなく脈を打つようなイラっとする痛みで
看護師さんに痛みがあるのだけど
痛み止めはどのくらいでもらえるのか聞くと
「う~~~~~んと痛くなったら(はーと)」という返事で
サディスト野郎!!と心の中で罵って
凶暴が目覚めて夫にあたっていると
さきほどのサディストが痛み止めの点滴を入れてくれました。
麻酔の先生は痛かったらじゃんじゃん痛み止め使ってねって言うし
適度に痛み止めくださいとお願いしたかったです。

この日は安静にして寝ているだけだったので
朝から疲れてしまっただろう夫には早めに帰宅してもらいました。
実はこの日は私たちの結婚記念日でした。
なんとも忘れられない記念日になりました。
なぜ手術日の前々日に入院しなければならなかったのかというと
手術日前日の午前中から翌日の手術のための仕込み←仕込っていうのもなんですが があるためでした。
手術と一緒にセンチネルリンパ節生検をするのに
その見張りの役のリンパ節を見つけるための注射をして画像の撮影も
しておかなければならなかったからでした。
その注射をするとセンチネルリンパ節が青く染色されるとか?
前々日入院でなく前日の朝入院でもよかった気もしましたが・・・。

看護師さんが部屋へやってきて
「痛いんだよね」なんて言いながら
気休め程度かもしれないというようなニュアンスの言葉も付け加えながら
術側の乳房に麻酔パッチのようなものを貼り付けていかれました。

「痛い」「麻酔パッチ」・・・・まったく予備知識がなかったので
いったい何をされるのか恐々として注射しに行くと
女医さんと看護師さんがスタンバイしていて
「痛かったら叫んでもいいからね」とおっしゃいました。
あはあは、叫ぶっていったい・・・・。

乳輪の4箇所に注射をして
痛いというよりも私的には熱いという感じで
顔がカーッっとするような痛さでした。
麻酔パッチの効果はあったのかなかったのか。

夕方、主治医より翌日の手術の説明があり
色々言葉のやりとりをしていて
主治医の力をもってもどうすることもできない事の話になると
「あとは神頼み」という言葉が主治医の口からでました。
ええーーーっ!!
科学的根拠に基づいたことしか受け入れなそうなのに
神頼みって、結局最後はそれなの?
意外でした(笑)

夫を病院の玄関まで送り
早く眠れそうにないので
個室だったのでテレビで遅くまで といっても11時頃までですが
見ていました。
それまではお笑い番組は見なかったのですが
笑うことは良いからと 入院中はお笑い番組ばかり見ていました。
乳がんがみつかったとはいえ
沈んでばかりもいられず師走ということで
年賀状、お歳暮の手配
年末年始で海外へ遊びに行く友達の話を聞いたり
円高で海外旅行する友達からの相談の電話や
どういうわけか人生相談のような電話などもかかってきたり(笑)
大好きな女友達と話してると涙がこぼれそうで仕方がなかったけれど
どうにかいつも通りに振舞っていたと思います。

12月24日 入院の日
クリスマスイブなんてのは全く頭にはなく
しかし聖夜にひとり自宅で夕飯を食べることになる夫が気の毒なので
午前中2人で買い物に行き
クリスマスディナーのようなものを買ってきました。

午後、病院へ行き入院
手術日の前々日の入院だったので特に予定もなく
夕方、夫が帰ってからは
ベッドの脇にある椅子に座り
自宅から持ってきた本を読んだりテレビを見たり。

病院でもクリスマスメニューというのがあるようで
夕食には鶏肉料理がドンと出され
クリスマスカードが添えられていました。
毎朝、新聞を読む習慣があります。
さすがに告知された翌朝は全然読み進めることができず
テーブルに広げた新聞の記事の同じ行を
何度も何度も読み返していて
気が付いたら3時間くらい経っていました。

病院から渡された乳がんについての小冊子も
1/3ほどしか読めず
この日は一日中 何もできなかったよう思います。

手術日は1ヶ月後の12月の終わりで
病院の手術室が使える最後の日に決まりました。

手術日までの間にCT検査をして
リンパ節には腫れなどがみられず
画像からはリンパ節への転移はしていないでしょうということで
それまでほとんど眠れませんでしたが
このCT検査の結果を聞いた夜は少し安堵したのか
よく眠れました。

11月の後半から12月の初めくらいに
毎年、恒例行事のようにカゼをひいてしまうのですが
カゼをひいて手術ができなくなるといけないので
カゼをひかないように それだけを気をつけていました。
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